こんにちは!今日の更新は、興味深かったニュースの内容についてです。
平成25年に、長野県安曇野市の特養でドーナツを食べた入所者が窒息し、その後死亡したという事例がありました。
この件に対し、ドーナツを提供した准看護師が業務上過失致死傷の罪に問われた裁判で、一審は有罪判決となり介護業界を騒がせました。
弁護側は控訴し、その結果が注目されましたが、令和2年7月28日に逆転無罪の判決となりました。
検察側が上告するかはわかりませんが、老健務めの管理栄養士としては、非常に興味深い裁判です。
事件の発端
事件の発端は、特養のおやつの時間。本来食事の介護を担当していた介護職員が、排泄ケアに時間がかかり食堂に来られなかった事が始まりです。
食事介助の人手が足りなかった為、被告となった准看護師が手伝いとして配膳や介助を行いました。
その日のおやつはドーナツとゼリー。おそらく、咀嚼や嚥下機能が十分な方はドーナツで、そうでない方はゼリーになっていたのだと思います。
自己摂取できる方へドーナツの配膳し、その後、介助が必要な利用者へゼリーを食べさせます。
しかしその影で、ドーナツを配られ食べていた女性が窒息しており、しばらくして女性の異変に気づき、背部叩打法や心臓マッサージで対応しますが、意識が戻らず病院へ搬送されます。
その後一ヶ月ほどして、病院で死亡しました。
実はこの女性は、食べ物を口に詰め込む傾向があり、事件の一週間前に女性へのおやつは柔らかいゼリーへ変更となっていました。
つまり、本当ならゼリーを配膳しないといけない所を、誤配膳によりドーナツを配ってしまい、窒息に至ったというわけです。
裁判の内容
この裁判の争点は大きく分けて2つありました。
一つは、窒息後、一ヶ月ほど経過して死亡したため、窒息が直接の死因となっていたのかどうか、という問題です。
もうひとつは、准看護師に「過失」があったのかどうか、です。
この過失が認められ、一審では有罪判決となりました。
一審では弁護側は、「おやつをゼリーへ変更したのは窒息の危険があったからではなく、消化不良の解消のためだった。また、被告は介護職員の引き継ぎ事項にまで目を通す義務はなかった」と弁護しました。
詰め込む癖があったという話が事実かはわかりませんが、そうだとしたら、消化不良の解消のために変更したというのは、無理のある弁護内容に思えます。
無理のある内容だったからか、弁護内容は認められず有罪に。被告は控訴し、高裁での判決となりました。
高裁では、「引き継ぎ資料は介護職員間の情報共有のためのもので、看護師がすべての内容を把握する必要はない」と指摘。「被告はゼリーへの変更を伝えられておらず、また女性は一週間前まではドーナツやまんじゅうを食べても窒息等の事態は発生しておらず、死亡を予見することは困難だった。」と指摘。
「ドーナツを食べて被害者が窒息する危険性は低く、死亡することを予見できる可能性も低かった。刑法上の注意義務に反するとはいえない」として逆転無罪となりました。
この裁判の問題点
正直なところ、准看護師のドーナツ提供に関しては、過失である事は間違いないと思います。
もともとゼリーを提供することになっていたわけですからね。高齢者施設ではありがちな誤配膳の事故の一つです。
こういった場合に、家族と施設側で民事裁判で争うことはよくあります。
実際に、この事件の例でも、施設と遺族側で話し合いが行われ、示談が成立しているそうです。ここまでは、過去にもそれなりに例があると思います。
しかし、この裁判は刑事裁判で、当事者同士での解決し終わった後に、業務上過失致死に問われています。
この手の問題で業務上過失致死に問われるのは珍しく(初めて?)、さらに有罪判決になったため、介護業界に波紋を広げました。
注意義務=予見可能性+回避義務
少し話はそれますが、過失についての話をしておきます。法律の専門家ではないので、細かいところで間違いがあるかもしれません。
過失というのは、注意義務に違反にしているかどうか、という話になります。
注意義務違反の有無を判定するには、まず「予見可能性」の判断を行い、予見する事が可能であった場合、次に「回避義務」の有無が判断されます。
交通事故等でよくある事例です。
例えば車道へ歩行者の急な飛び出しがあって、死亡事故があったとします。
予見可能性とは難しい話ですが、例えば車道を歩いていたのが子供だったり、泥酔したふらふらのおじさんだったら、何かの拍子に車道に飛び出す事が予見できたといえるかもしれません。
そう判断されれば、回避義務が発生し、徐行等の回避行動を取る必要があったのではないか、という話になります。
一方安定した足取りで普通に歩行している成人が、急に車道に飛び出す事は予見できるでしょうか。
予見可能性を拡大し、すべての歩行者が「自殺願望」の持ち主だと仮定すれば、成人でも急に飛び出してくるかもしれないし、歩道橋の上の歩行者は急に降ってくるかもしれません。
しかし、そう仮定していては、とてもではないけど運転できません。拡大しすぎれば、そもそも車を運転する事自体できなくなります。
過失に関して適切な範囲の限定する考え方として、信頼の原則と呼ばれる考え方があります。
上記の例でいえば、普通に考えて、成人が車道にいきなり飛び出してくるわけがないので、その常識を信頼し起こらない前提で運転しても良いということです。
つまり、その常識を覆すような人(自殺志願者とか)が急に飛び出したり、空から降ってきて事故にあっても、予見できなかったとして過失割合が低くなる可能性があります。
一方、その信頼が崩れる(足取りが怪しい人、飛び出す事が想定できる幼い子)場合には、この信頼の原則が適用されないかもしれません。
上記は交通事故の例にしましたが、高齢者施設でも適用できる考え方です。
窒息の予見可能性はあるか
高齢者の窒息について、予見する事が可能か?というと、個人的には、高齢者施設に勤めているなら、当然予見は可能であると考えています。
高齢者は加齢により嚥下機能や咀嚼機能が落ちているのが普通で、むしろ窒息の危険が無いといえる人のほうが少ないのです。
高齢者施設に勤めていれば当然知っている事だと思います。今回の事例では、「ドーナツで窒息する危険性ないし、これによる死亡の予見可能性は低かった」と結論づけていますが、個人的には十分予見できる事だと思います。
ただ、予見できたとして、回避義務があるのか?というのは難しい話だと思います。
事故を予見できたとして、回避義務があるのか?
今回の事例のおやつ提供は、介護職への確認等で回避できたかもしれません。
しかし、365日、1日3回の食事プラスおやつの提供で、日々職員、利用者が入れ替わる中、100%提供ミス無しで食事提供を続けるのは、実際には不可能です。
ヒューマンエラーは発生する前提で考えなければいけません。
すると、食事の配膳に関して言えば、「状態の低い人に全員を合わせる」しかないということになります。
例えば今回の特養の例では、ドーナツとゼリーの二種類のおやつが用意されていましたが、全員ゼリーにすれば、万が一誤配膳が起きても食形態が同じだから安心です。
これはおやつだけでなく、食事についても同じ事が言えます。
普通にご飯で、おかずも形で食べられる利用者がいて、もう一人、お粥とおかずは細かくしないと食べられない利用者がいたとします。
誤配膳や、盗食(他の人の食事を盗ってしまうこと)の事故が起こりえるものとして考えると、起こっても良いように、形で食べられる人もお粥と、細かくしたおかずにしておくべき、と考えられます。
事故が起きれば責任を追求される事はあります。しかし、利用者の生活の質を落としたり、機能を低下させても、責任を追求されることはありません。
歩きたいけど歩かせれば転倒リスクがある・・・、そんな高齢者は多数いますが、歩かせることに対して、転倒の予見はできるわけで、これに回避義務があるとされるなら、そもそも歩かせない事が正解になってしまいます。
食事もよくある事例で、今まで通りのご飯や、形のあるものを自由に食べたい・・・、当然、多くの方が抱いている思いです。
しかし、高齢者は嚥下機能や咀嚼機能が低下しており、今まで通りの食事を食べると、窒息の可能性があるわけです。窒息の予見ができてしまうので、じゃあ回避するにはどうしたらいいかというと、お粥にしたり食事を細かくしたりという対応をとるということになります。
どちらも、本人の生活の質を大きく下げているわけですが、予見と回避が義務付けられるならば、仕方ないと言わざるを得ません。
もしくは、リスクの高い人は入所を断り、入所中に機能が落ちた場合は追い出す、というようにしても、事故を回避できるかもしれません。
いずれにしても、高齢者はどんな活動をするにも何かしらのリスクが伴っているため、回避義務があるとするならば、厳しい制限を設けるか、リスクの無い人しか施設では見れない、ということになります。
司法がゼロリスクを求めるというのはこういうことです。おそらく、日本中の高齢者や、その家族にとって良い事にはならないはずです。
しかし、この件では刑事裁判にかけられ、一審で有罪になった為に、しばらく介護の萎縮が起きていました。
高裁は常識的な判決
今回の高裁判決では、「あらゆる食品が窒息の原因になってもおかしくない」と指摘し、次のように判示しています。
窒息の危険性を否定しきれる食品を想定するのは困難である。そして、窒息の危険性が否定しきれないからといって食品の提供が禁じられるものでないことは明らかである。他方で、間食を含めて食事は、人の健康や身体活動を維持するためだけではなく精神的な満足感や安らぎを得るために有用かつ重要であることから、その人の身体的リスク等に応じて幅広く様々な食物を摂取することは人にとって有用かつ必要である
「窒息の危険性を否定しきれる食品を想定するのは困難」というのは本当にその通りで、例えば消費者庁によると、意外とリスクが高いのはお粥やご飯です。
ご飯だと危ないかもしれないからお粥に・・・、と思ったらお粥でも窒息するわけです。
つまり何を食べても窒息するときは窒息するし、だからといって窒息の可能性が考えられるものをすべて排除すれば、最終的に残るのは飲料か、胃ろう栄養を入れ、口から食物を摂らないかの二択になります。
このうち飲料は、窒息はしないものの誤嚥のリスクが高く、胃ろうも逆流して窒息したり、逆流したものが肺に入って肺炎を起こしたりというリスクは残っています。
窒息の危険性が否定しきれないからといって、食品の提供を禁じていては、何も食べる物が残らないわけです。よって、上記の判示の通り、窒息の危険が想定されても、食品の提供は禁じられるべきではないのです。
まとめ
今回の高裁の判決では、常識的な判決が下されました。
が、そもそも一審で有罪になったのがおかしかったと思います。
あの一件だけでも、「本人や家族の希望はあるけど、有罪になるみたいだし、安全重視するか」というように、高齢者の生活の質を落とす方向へ介護が進みました。
もちろん家族としても納得できない事故はあると思うので、そういう時は運営施設を相手にして民事訴訟なり示談交渉で解決すればいいと思います。
施設にも事故の回避を努力する必要はもちろんありますが、これを義務とされ、事故発生時に責任が問われるとなると、それを回避するため高齢者本人の意思や自由を制限せざるを得ません。
たとえリスクがあろうとも、好きなものを好きなように食べて最後を迎えたいという方がほとんどです。
家族に対しても、「事故に至るリスクが高くなってきたんで、もううちの施設では見れません」と、本来ならば介護が必要な人が、介護を受けづらくなり家族など主介護者に大きな負担がかかるようになります。
本人の意思を尊重したケアできるように、世間の理解が進んでいけばいいですね。
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